NATO軍による空爆開始により、平和的解決とはほど遠い方向へと一気に進んでしまったユーゴ情勢。一方国内でも、ガイドライン関連法案の審議が頂点を迎えつつあります。国内外に緊迫した状況が続く中、ユーゴ情勢の裏側に隠された争いの真実について、また日本が国際社会において今後進むべき方向性について、マスコミでは報じられない正しい情報をより多くの方々にお伝えしたいという思いから、《中丸薫のワールドレポートVol.6》の内容を特別に公開することにいたしました。
《中丸薫のWORLD REPORT》Vol.6 1999年4月号 INDEX
◆国際情勢◆『ユーゴ情勢』
NATO軍によるユーゴへの空爆は、徹底抗戦の態度を強めるユーゴ軍とコソボ解放軍との対立をますます深めることに…。多くの市民を巻き込んだ悲惨な闘争の裏側にある、真の争いの主役と彼らの目的とは…?
◆トピックス◆『ガイドラインをめぐる日本の主権問題について』
ガイドライン法案の国会審議に弾みをつけた、日本海での「不審船」騒動。だが法案の成立は日本が自国の統帥権を手放すことを意味する。今日本に必要なのは、冷静な判断力と本当の意味の自立をめざすことではないのか…。
◆交友録◆『フランシス・コッポラ』(1939年〜)
世界的に知られる映画監督フランシス・コッポラ。中丸薫がインタビューの中で垣間見た、彼の人生の珠玉の瞬間とは…?



◆国際情勢◆
『ユーゴ情勢』

◇ついに空爆へ

 NATO軍によるユーゴへの空爆が開始された。「平和の侵略者」ミロシェビッチ大統領に過ちを認めさせるのに最善の策が空爆なのだという。
これに対してユーゴ国民の実に9割以上がNATO軍 の空爆を不服として「徹底的に戦うべき」と考えている。この空爆はユーゴ軍の徹底抗戦を強め、ユーゴとコソボ解放軍の対立をますます深める結果を招くであろう。「力の道」の悲劇がまたくり返されるのであろうか。
 私は今年に入ってから何回かユーゴを訪問しているが、この徹底抗戦の国民感情はますます強くなっている。それも政府高官から一般市民までが「空爆は国家の主権に関わる問題である。やるならどうぞという気持ちだ」と意思表示する。このような状況を目の当たりにして、改めて国の主権を守るとはどういうことなのか考えさせられた。
 そもそもコソボ自治州の問題は、宗教、民族、歴史に深く根ざした問題であり、ユーゴの内政問題であった。
 かつての旧ユーゴは「一から七までの国」と形容された。つまり一つの連邦国家でありながら、二つの文字を使い(ギリシャ文字、ローマ文字)、三つの宗教を信じ(正教、カトリック、イスラム)、四つの言葉を話し(スロベニア語、セルボ=クロアチア語、マケドニア語、アルバニア語)、五つの民族が暮らし(セルビア、クロアチア、アルバニア、スロベニア、ムスリム)、六つの共和国から成り、七つの隣国と国境を接しているという意味である。
 歴史的にみてもバルカン半島一帯はハプスブルク帝国(オーストリア・ハンガリー帝国)とオスマン・トルコ帝国の激しい覇権争いがくり広げられ、第一次世界大戦の火種となったサラエボでのオーストリア皇太子暗殺事件の舞台となった。
 1980年にチトーが死去すると統一が乱れボスニア・ヘルツェゴビナ紛争など宗教、民族をめぐる争いは枚挙にいとまがない。今のユーゴが新ユーゴとして誕生したのもつい最近の1992年のことであり、ユーゴは内政、外交含めてまだまだ発展途上にある国なのである。
 んな小国の内政問題がこの一年足らずの間に世界でも有数の紛争に発展してしまった。「闇の権力」から解放軍へ流れる巨額の軍資金、武器、弾薬、「独立系」と呼ばれる通信社、ラジオ局への資金援助のために、この数年で住民たちの生活は様変わりしてしまった。それを象徴するかのように、コソボの村落へ入ったテレビカメラが、「独立に賛成か」と聞かれて「独立も何も私らにはわからない、静かな暮らしを返して欲しい」と訴える村民の姿を映し出していた。そこには政治とはまるで無縁の、昔ながらの共同体を営んできた人びとの姿があった。
 その静かな共同体に一年くらい前から突然武装集団が現れ、独立を唱え始めたという。村民の顔には自分たちが数奇な運命に巻き込まれようしている不安がありありとみてとれた。その表情が暗示するように、彼らはこれから先、慣れ親しんだ土地を追われることになるのだろうか。


◇旧東欧をめぐる主導権争い

 「闇の権力」はことユーゴとなると力が入る。なぜならバルカン半島は彼らとEU連合が21世紀の覇権をめぐって激しく争うところであり、そこで強い影響力を持つのがユーゴだからである。
 今ヨーロッパは、ユーロを軸に新たな経済圏を生み出そうとするヨーロッパ王侯貴族の勢力と、その連合を阻止しようとする国際金融財閥の主導権争いが熾烈を極めている。旧ソ連が世界に君臨していたころ、バルカン半島にチェコ、ハンガリー、ポーランドなどの国々を加えた一体は「東欧」と呼ばれひとつの経済圏として成立していたが、今その東欧はジョージ・ソロスらの潤沢な資金と政治力でNATO加盟を果たしたチェコ、ハンガリー、ポーランドらの国々と、オーストリア、ドイツなどとの関係を深めようとするバルカン諸国との勢力が拮抗している。
 そのバルカンへの影響力を拡大しようとする「闇の勢力」にとって立ちはだかった壁がユーゴだった。彼らにとってミロシェビッチ大統領は、リビアのカダフィ大佐やイラクのフセイン大統領と同じく、そのカリスマ性で国民の絶大な支持を得ているやっかいな人物なのである。国際金融財閥の軍門に下ろうとしないところも共通している。ユーゴは'92年に国連安保理による経済制裁を課され、'95年にようやく制裁を解かれたが、IMFや世銀などの介入を警戒し、米から反感を買っている。旧東欧の国々が着々と「闇の権力」への依存を強めていっているのとは対照的だ。
 この3月12日には、チェコ、ハンガリー、ポーランドのNATO加盟を祝う式典が行われた。そのとき三国の加盟を歓迎するスピーチを披露したのはあのオルブライト国務長官だった。イラクの時といい、今回といい、空爆となると世界中のメディアに登場して空爆の正当性を主張する彼女はチェコの出身で、次期チェコ大統領といわれている。またハンガリーは言わずと知れたジョージ・ソロスの祖国であり、彼の子飼いの青年が首相に就任している。「闇の権力」による旧東欧の地固めは着々とすすんでいる。
 こうした大同団結の流れにくみしないユーゴは、自分たちの国のことは自分たちで決めるという、主権国家として当然の権利と誇りを守るために空爆をも甘んじて受けることを決めた。
 がここで注意したいのは、強固なキリスト教圏であるバルカン半島の分断を演出する立役者がユダヤ人だからといって、これをユダヤ教対キリスト教による覇権争いとみるのは間違いである、ということである。彼らにとって宗教は関係ないのである。彼らは世界制覇にとって宗教がもっとも障害になることをよく知っている。まただからこそ世界制覇のために宗教がもっとも使える戦略であることを知っている。その矛盾と妥協のなかで、彼らは金融力と政治力を拡大してきたのである。
 しかしここへきて、その矛盾がほころびを露呈しはじめた。今回の空爆には米国民はおろか、NATOの国々からも非難の声が上がっている。米国内で言えば共和党のドールが、空爆がコソボ問題の解決にならないことに加えて米の国益に反することを訴え反対している。米国民も約半数が今回の空爆は国益に反するとみている。
 またNATOでは、ユーロを軸にヨーロッパでの主導権を握りたい独が、旧東欧での足場を着々と固めてヨーロッパ制覇を狙うジョージ・ソロスを激しくけん制しているし、NATOの拡大路線に不満をあらわにしているロシアも国連承認なしの空爆を非難し、緊急協議を要請した。さらに米国防総省内からも空爆を非難する声が上がっており、NATOへの不満が強まっている。
 大自然には調和の法則がある。その法則に反することはやがて破綻を迎える。イラクへの空爆が「闇の権力」の思惑通りにいかなかったように、今回の空爆も正当性に欠ける。「力の道」による世界一極化は実現不可能であろう。


◆トピックス◆
『ガイドラインをめぐる日本の主権問題について』

 ーゴが国の主権をかけて戦っているならば、わが日本も国の主権をめぐって決断を迫られている。敗戦国としてなかば米の属国に甘んじてきた日本が本当の意味で自立した国として21世紀を迎えることができるのか、それとも米への隷属を強めるのか、日本の将来を決める分岐点に立っている。  今国会では異例の早さで予算が成立した。そしてこれから今国会の最大の案件であるガイドライン関連法案の審議が頂点を迎える。小渕政権としては4月末の首相訪米にはなんとしても法案成立の手土産を持っていきたいところだ。
 ガイドライン関連法案で考えなければいけないのは、日本に統帥権があるのかどうか、である。つまり自分たちの国を自分たちで守れるかどうか、その決定権があるかどうか、そしてその行動に責任を持てるか、である。
 残念ながら政府案では日本に統帥権があるとは言い難い。国会承認を必要としない意思決定、港湾をはじめとした日本の領土の提供、人員・武器・弾薬・燃料の米軍への協力、いずれをとっても日米「協力」というにはあまりに日本の立場が弱い。これではいざ有事となったとき、真っ先に攻撃目標とされるのは日本国土であり、日本が太平洋上の要塞としてあっというまに戦火に巻き込まれることは想像に難くない。法案が成立すれば日本は統帥権を手放したも同然になる。主権のない国に真の国防はあり得ない。
 ここはひとつ何としてでも法案の成立を阻止し、米国の属国からの脱皮、そして平和憲法の理念に基づいた外交のあり方を、と思っていたら突如日本海に「不審船」が現れた。法案推進派にとっては格好の予行演習となった。その直前の小渕首相の韓国訪問とあわせて、北朝鮮脅威論の既成事実は確固たるものになりつつある。だが、かつて日本の真珠湾攻撃の情報が米軍に筒抜けだったように、安易な状況判断は取り返しのつかない事態を引き起こす。今日本には冷静な判断力が求められている。
 あの不審船が北朝鮮のものだったかどうかはわからない。しかし、昨年のテポドン騒動以降、TMDへの本格参入、ガイドライン関連法案と周辺諸国を刺激するにあまりある行動を日本がとっていることは事実である。米国従属の日本の軍拡はアジアに緊張と対立を招く。
 体日本という国は国際社会の中でどのように生きていこうとしているのだろう。アジアを敵にまわして米国の要塞として焦土と化す道を選ぶのか、それとも平和憲法を有する国として、世界平和のイニシアティブを発揮していく道を選ぶのか。
 こういうとすぐに「米国寄り」「中国寄り」という単眼的なものの見方で人を判断しようとする人がいるが、私はそのどちらでもない。世界平和を考えたとき、また日本の安全を考えたとき、日本がアジアの国々と良好な外交関係を保つことでその二つの命題を実現できると考えている。孫子の兵法をひも解くまでもなく、戦わずして勝つものが最高の勝者なのである。戦わずして自国の国民と利益を守ることができるような外交、お互いの信頼関係の上に成り立つ外交を日本は考えるべきである。
 私は3月始めに中国を訪問したが、そのときお互いが心を開いて率直に意見を言うことがいかに大切か改めて痛感するような場面があった。
 昨年の江沢民国家主席訪日の際、日本側の謝罪にも係わらず中国側が執拗なまでに過去の歴史への謝罪を求めたこと、また広東国際信託投資公司の破たんによる対日借款の返済不能についてなかば中国側が開き直りともいえる態度に出たことについて、「日本国民の神経を逆なでする態度ではないか」と苦言を呈すと、政府高官は「まったくだ。うまくいくものもいかなくなる」と反省しきりだった。
 国と国との関係は、そのまま人と人との関係である。正論であっても人の気持ちをないがしろにすればまとまるものもまとまらなくなるし、逆に言うべきときに言うべきことを言わなければ対等な関係は築けない。そのような冷静かつ自立した外交を日本政府、外務省にお願いしたい。
 私が関係する民間外交は信頼関係で成り立っている。国交がない国同士、歴史的に対立している国同士でも「太陽のような心」で向かい合えば事態は好転することを私は経験的に学んできた。今の時代に必要なのはイデオロギーや宗教ではなく、ひとりひとりの霊性の目覚めではないだろうか。


◆交友録◆ フランシス・コッポラ(1939年〜)
 コッポラといえば「ゴッドファーザー」「アウトサイダー」「地獄の黙示録」など超大作の監督として知られ、またアカデミー賞、カンヌ映画祭の受賞者として広く世界にその名を知られている。その経歴はさぞや華やかな彩りに満たされているであろうと思い気や、私が彼にあったその日は折しも邸宅が競売にかけられた日だった。聞けば「地獄の黙示録」で赤字を出したのだという。
「地獄の黙示録」はベトナム戦争に突入したアメリカの正義を真正面から問いただし、コッポラが私的財産、監督としてのキャリアをかけて臨んだ意欲作だった。しかし多額の撮影費が災いし、彼の映画制作会社ゾーエトロープ社の経営はたちまち悪化した。
 それでもそんなことはお構いなしに嬉々として新作「アウトサイダー」の撮影に取り組むコッポラに尋ねた。
「あなたにとっていちばん感動的な瞬間とはどのような時ですか」
 彼は答えた。
「壁にぶち当たったときですね」
 そのことばを聞いたとき、最高の作品を生み出すために妥協を許さない彼の芸術家としての崇高な精神をかいま見た気がした。物質的な成功、名誉、勲章、これらは彼にとっては結果に対しての第三者の評価にしか過ぎない。だが彼の人生の珠玉の瞬間は、結果に向かって一瞬一瞬を積み重ねるそのプロセスのなかにこそあった。
 コッポラの父であるカーマインは「ゴッドファーザー」をはじめとしたコッポラ作品の作曲家として知られている。また撮影所では衣装係の妻、アシスタントの息子、そしてまだあどけなさの残る娘がところ狭しと動き回っていた。
 富や名誉ではなく、自分たちの心に適う作品を生み出すためにいきいきと人生を生きているひとつの家族の姿が、決して立派とは言えない撮影所の中でひときわ輝いてみえた。




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