マスコミでは報じられない正しい情報をより多くの方々にお伝えしたいという思いから、《中丸薫のワールドレポートVol.25》の内容を特別に公開することにいたしました。

* 中丸薫のワールドレポートは毎月一日に発行されます。

《中丸薫のWORLD REPORT》 Vol.25 2000年11月 INDEX

◆国際情勢◆
『国際感覚は豊かな心が育む』

日本政府が国際情勢の中で、後手、後手に回ってしまうその背景とは…。
日本人の国際感覚を育む心には、何が必要か…。
◆トピックス◆
『心の浄化が人生の設計図を開く』

二十世紀を代表する著名人が語る生きざまと、目的とは…。
一人一人の人生の設計図をひも解く鍵とは…。

◆交友録◆
『ジーナ・ロロブリジータ』

ハリウッドの五〇年代から六〇年代を代表する女優の素顔とは…。
彼女の美 しさと、クリエイティビティー の魅力とは…。




◆国際情勢◆
『人生の設計図は自分自身にしか開けない』  

森首相が英ブレア首相との会談で、九七年に与党訪朝団として北朝鮮を訪れた際、日本人ら致疑惑について「行方不明者として第三国で発見したということにする方法もある」という提案をしたという話が報道された。この話にはふたつの重大な問題がある。ひとつは日本政府と北朝鮮との水面下での交渉をまったく関係のない国の首相にもらしたこと。そしてもうひとつは、「ら致」は闇の権力によってしかけられた工作であるにもかかわらず、日本がそれに何年も躍らされ、適切な対応ができていないことである。

 ら致疑惑に関しては、与党訪朝団に北朝鮮がその場で「一般の行方不明者として調査する」ことを約束し、その翌年六月「北朝鮮には存在しない」と発表した。また今年八月の日朝国交正常化交渉でも「ら致はあり得ないが、一般的な行方不明者の調査には協力する」と、言っている。日本国内ではそれでも北朝鮮に疑惑の目を向ける人が多数を占めるだろう。しかしもう一〇年以上も北朝鮮の政府要人とお付き合いをさせていただいている私としては、こうした北朝鮮の見方には異を唱えたい。ちなみに初めての方のために少し説明すると、北朝鮮と私との出会いは八九年にさかのぼる。その年私は「第一回世界平和のためのシンポジウム」を一〇〇カ国を集めてニューヨークで開催し、国連でも講演した。開催費用は自宅を抵当に入れて調達した自己資金。そのシンポジウムのことを聞いた当時の金日成主席が、後日ニューヨークの私のオフィスに「民間の方があのような会を開催されたことに感銘を覚えました。次回はぜひ私の国にも声をおかけください」という親書を携えた特使を遣わされたのが始まりだった。しかし多額の銀行借入れのために自宅はその後結局手放した。この時に限らず、私はいつも私費で世界各国との民間外交を続けており、北朝鮮もそんな私を信頼し、いつも国賓待遇、ビザなしで迎えて下さっている。一方、韓国との関係は、朴政権の頃国賓待遇で招かれてから現在まで続いている。

 話を元に戻そう。北朝鮮に関しては相変わらず誤解を抱いている人が多いので、もう時効になったと思われるいくつかのエピソードを紹介しよう。

 九四年の南北朝鮮首脳会談の直前、私は金日成主席の招待で北朝鮮を訪れていたが、金日成主席の急逝で会談は幻と消えた。その時、国民が喪に服し泣き叫ぶ中、私はマイクを取り、全世界に金日成主席の死を悼む国民の姿を伝えた。その映像は衛星放送で世界に配信されたのだが、この訪朝の前日、私は外務省の寺田報道官を訪ね、「なぜ外務省同士は直接協議をしないのか」と聞いた。答えは「大韓航空機撃墜事件の犯人キム・ヒョンヒに日本語を教えたとされるリ・ウネのことを、『そのような日本人がそちらにいるのでは』と日本側が協議の場で口にしてからもう五年も交流が途絶えている」というものだった。その時北朝鮮側は「日本はまだそのようなことを言っているのですか」と言って席を立ってしまったという。当然であろう。その頃、大韓航空機撃墜事件はCIAの筋書きによる国際謀略である、とする見方がすでに関係者の間で一般的になっていた。信頼関係を築くつもりでテーブルに着いた北朝鮮側は、日本の国際感覚に落胆したのだ。

 九七年、橋本総理の時代、「官邸も外務省も北朝鮮が日本人の中でもっとも信頼しているのが中丸先生だということがわかりましたので、両国の外務省同士が話しあえるよう協力して欲しい」という申し入れがあった。ついてはすぐに中国経由で北朝鮮に行って欲しいという。中国へ入国するには六ヶ月以上の有効期限があるパスポートとビザがいる。しかし、そのとき私のパスポートの有効期限は四ヶ月しかなかった。ビザの発行にも時間がかかる。その旨を総理に言うと、総理は自ら外務省の旅券課長および中国大使館にかけあい処理された。それで私は即刻中国経由で北朝鮮に入り、最初は課長クラス、その後は審議官クラスに上げての協議を整えたのである。その協議の成果のひとつが日本人妻の一時帰国だった。ちなみにこの時も費用は私費であった。また「第三国で行方不明者として発見」を北朝鮮に提案したとされる中山正暉氏が訪朝団を計画した時は、中山氏らから依頼を受け、北朝鮮政府に受入れてくれるよう連絡をとるなど訪朝に協力した。

 こうして私はこれまでいろいろな場面で日朝両国の関係改善のために力を注いできた。しかし両国の協調を阻みたいCIA、韓国安全企画部は両国の間にくさびを打ち込むため「ら致」工作をしかけている、とアメリカ国防省から聞いている(CIAがやることは国防省がチェックする)。  

 実は私も北朝鮮に「ら致」疑惑のことを確かめたことがある。しかし、その様子からはまったく身に覚えのないことを言われているという雰囲気が全身で感じ取れた。その時だけでなく、私はこれまで一度たりとも彼らの言動に偽りや誇張を感じたことはない。彼らは民族の歴史と伝統、誇りを大切にしている。道義を重んじ、礼を尽くすことを美徳としている。小細工を使ったり、軽率な言動をすることは彼らがもっとも嫌うことである。私はこれまで度々日本と北朝鮮との会談のコーディネートをてがけたが、会談後、北朝鮮からは必ず丁重なお礼と報告をいただいた。私の知るかぎり、北朝鮮はとても礼節を重んじ、人と人とのご縁を大切にする国である。

 すでにマスコミが報道している通り、森首相は正式のルートを通さず、金総書記に親書を送ったという。これも国際感覚からはいささかはずれた行為である。南北首脳会談後、各国が急速に北朝鮮との関係を築くなか、日本はら致疑惑が障害となって出遅れていた感がある。森首相の一連の言動は功を焦るが故のとんだフライングであろう。このような国際感覚は、首相だけでなく、政治家にも、官僚にも、蔓延しているのではないだろうか。

 しかしそれも致し方ない、と思う。日本人は暗記と計算は学校でさんざんやらされるが、創造力や判断力、理解力を育むような教育を受けていない。日本人の国際感覚のずれは、戦後日本の教育が生んだ弊害であると私は思う。その背後にはアメリカを盾にして日本を支配下に置こうとする、闇の権力の対日戦略が見え隠れする。

 今アメリカは好景気にわいている。しかしその好景気はジャパンマネーが支えている。日本国民が低金利政策にあえぐ一方で、その低金利でカネを借り、国債を買わせ、膨大な資金を調達しているのはアメリカである。貯蓄のないアメリカ国民が、世界有数の貯蓄率を誇る日本国民よりも裕福な生活をし、しかもアメリカのファンドは、景気低迷にあえぐ日本企業や土地を二束三文で買い叩き、莫大な収益を上げているのである。日銀が金利をあげれば、日本のデフレも解消するだろう。だが「アメリカの株が下がったら世界同時恐慌に陥る」という大義名分がそれを許さない。闇の権力の戦略に躍らされ、自国民の利益や命を守れない政府の政策も、国際感覚のなさからきていると言っていいだろう。

 戦前の日本には奉仕の心、和を尊ぶ心、隣人愛にあふれた心が宿っていた。しかし戦後教育は知識や偏差値を偏重し、心の問題をおざなりにしてきた。心は知性、理性、感情、本能のバランスがとれてはじめて完成される。その「感情」をおろそかにした日本の戦後教育はもう見直すべきだろう。国際感覚は豊かな心が育む。紅葉や小川のせせらぎ、風の香りを堪能するような時間をおとなもこどもも大切にしたい。

 


◆トピックス◆
『心の浄化が人生の設計図を開く』

私が二〇年ほど前に、テレビ東京でインタビュアーをはじめ出演者のコーディネーターなど六つくらいの役を務めた「中丸薫〜世界の主役」という番組が、年末に二時間の特別番組として放映されることになった。私はその番組で一六四人の国家元首、政治家、財界人、学者、文化人と対談をしたのだが、そのうちの三〇人の対談を再編し、私の最近のコメントを交えて放送することになったのである。

 一六四人の「主役」たちは、いずれも富なり名誉なり権力なり地位なりを手にした人々であり、二〇世紀を代表する人々である。彼らの肉声からは、いかなる富も名誉も権力も地位も、人生を豊かにする絶対条件にはなり得ないというメッセージが伝わってきて示唆に富む。彼らは遅かれ早かれ、それを何のために手に入れたのか、どう使うのかが何よりも大切であるということに気づく。その道のりを一緒にたどることは、生きるとはどういうことか、幸せとは何かを考えるうえで参考になるのではないだろうか。

 私は決して富や名誉や権力や地位を否定しているのではない。ただそれらを何のために使うのかを考え、実践するのが、それらを手に入れた人たちの使命だと思うのである。人生の目的とはより豊かな心を育み、自らが周りを明るく照らす光となって調和のとれた世界を築くこと。究極の愛の存在になれるまで、私たちは何度でも生まれ変わってこの三次元で修行を続ける。富や名誉や権力や地位は、その目的を実現するための手段であり、それそのものが目的であるわけではない。ところが、それらを手に入れること自体が人生の目的であるかのように勘違いしている人が世の中なんと多いことか。

 富や名誉や権力や地位を手に入れた人は、それをどのように使って多くの人を幸せにするかを天上界で神と約束してこの世に降りてきている。ある人は、いい製品を適正な価格で多くの人に分け与える事業家としての人生を計画して生まれてきているし、またある人は、人々をよりよい方向へ導く民衆のリーダーとしての人生を計画して生まれてきている。あるいはすばらしい絵や音楽を生みだし、人々の心に感動を与える芸術家としての人生を選んできている人もいるだろう。そのような人生の計画を私たちは設計図として心に携えてこの世に降りてきている。今生大金持ちとして愛を学ぶのか、それとも清貧の市民として学ぶのか、設計図の中身はさまざまだが、設計図に適った生き方をすれば人生には自ずとツキがめぐってくる。そしてその設計図をひも解く鍵となるのが、すなわち日々の心の浄化である。

 私が日々の心の浄化を皆さんにおすすめするのは、心を浄化すると設計図がよりはっきりと見えてくるからである。私たちには常に神の愛が降り注ぎ、その設計図を照らしてくれている。しかし残念なことに、怒り、憎しみ、ねたみ、そねみ、心配などで心が曇っているとその光が遮られる。そこでそのような悪感情の原因となっているものを取り除き、神の光を受けやすい状態をつくるのだ。これはやってみると案外難しい。なぜなら悪感情の原因を深くまでたどっていくと、自分がもっと周りの人に思いやりのある態度、包容力のある態度をとっていれば起こらなかったということに気づき、それをなかなか認めたくないという自我が頭をもたげてくるからである。しかしその自我を認め、もうひとまわり大きな愛で自分とその周りを満たすことが大切である。そうやって自分の心を毎日見取り、愛を広げていくと、設計図は自然とひも解かれ、本来自分が歩むべき人生を歩むことができるようになる。

 ここで注意したいのは、設計図を開くのはあくまでも自分であって、チャネラーや霊能者ではないということである。心の浄化というプロセスをきちんと経ないで答えだけを手に入れようとしても、設計図を正しく開くことはできない。三次元での毎日の生活、毎日の仕事にしっかり取組むことこそ、設計図を開く鍵になると心得よう。

 今日本では自殺者が急増しているという。その多くが心配や絶望に負けてしまったのだろうが、心配によって心をすり減らし、健康を損なうのは悲しいことである。心配とはまだ起こってもいないことを悪く想像すること。この心配という感情も神の光を遮る。だが、どのような問題が起ころうとも解決策は設計図に書かれている。私たちには二十四時間、キリスト教的に言えば天使、仏教的に言えば守護霊がついて、守ってくれている。できるかぎりの努力をしたらあとは天に任せて、心配を心から追いやる努力も必要だ。

 最近聞いた話では、闇の権力が世界制覇の時期を二〇〇二年から二〇一二年に変更したという。二〇〇二年が二〇一二年になろうとも、人類の奴隷化、世界制覇などという宇宙の法則に反した計画が実現しようはずもない。ただ、現代人が本来の霊性を失い、光を失っていることだけが気がかりだ。そのような状態の心は強力なマイナスエネルギーに支配されやすい。一日一度は心をぴかぴかにして、いつも神の波動を受けられる生き方を心がけよう。

 


◆交友録◆ ジーナ・ロロブリジータ(一九二七年〜)

妖艶な肢体に向こう気の強そうなはっきりした目鼻立ち。イタリア人にとって、一九五〇〜六〇年代を代表する女優といえば、ソフィア・ローレンと、そしてジーナ・ロロブリジータであろう。ソフィアと同じように、ジーナも六〇年代にハリウッドに進出し、「地上最大の脱出作戦(六六年/米)」で話題を呼んだ。その後はあまり映画には出ていないが、いつ会っても若さと美貌を兼ね備え、わが道を歩んでいる姿は見ていて爽快感すら覚えた。

「同じ人と三〇年も一緒に生活するなんて、私にはとても考えられないわ」

 初めて会ったとき、彼女は離婚後まもなくの自由の身を満喫するかのようにそう言い放った。彼女から見れば、もう三十三年も夫と仲良く暮らしている今の私などはまさに「信じられない」であろう。

 彼女は何よりも自由奔放に生きることを好む。結婚し、出産し、離婚し、そしてまた恋をし、よりたおやかに美しくなっていくジーナの姿は、大和民族の感性ではとても真似できないように思われた。しかしその華やかで、積極的なエネルギーは見ていて気持ち良かった。「美容と健康のためにワインをやめるなんてばかばかしい」という彼女は、ワインも食事も存分に楽しんでいた。ニューヨークの最高級ホテルで会ったときには、深紅のスーツに美しい肢体を包み、「ここのロイヤルスィートに泊まっているの」と話していた。

 そんな彼女にも意外な一面がある。写真だ。何度目かに会ったとき、彼女は眼鏡に帽子、アウトドアウェアというカメラマン風の出立ちで現れた。傍らには彼女の写真集を出すという出版社の社長が一緒だった。ピサの斜塔、イタリアのごくありふれた日常…彼女が撮った写真はどれも一瞬の時を独特の視点で封じ込め、その一瞬を静かに、しかし生き生きと再現していた。

 時折テレビでみかける彼女は相変わらず力強く、美しい。写真を撮ること、美貌を保つこと、演じること、それらすべてが彼女のクリエイティビティーを刺激する。そう、彼女はクリエイティブなことが好きなのだ。いくつになっても自分の心に正直にエネルギッシュに生きて欲しい人である。

 


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